北海道への移住と育休について

2024年10月17日、ついに第一子となる娘が産まれた。
状態は母子共に良好で、スーパームーン・大安・寅の日そして妻=母の誕生日の前日に我が子は産声を上げたのだった。
いまは産後の入院中のため、僕は残り数日の一人時間に家の準備を整えつつも筆を執っているが、彼女たちの帰宅がずっと待ち遠しくて仕方がない。
 
また、合わせて半年間の育休を取ることにした。
昨年に地元の北海道へと移住した上で、初めての子育てを目一杯に経験できるので、これまでの意思決定は大正解だった気がしている。
そこで改めて、移住を決めた理由や、育休に当たり考えていることなど、後の自分のためにも書き残しておく。

なぜ移住を検討し始めたか

検討当時に置かれていた状況として、北海道出身の僕は東京の会社でリモートワーク中心、妻も次のキャリアを模索中であり、夫婦ふたりで千葉の海浜幕張に住んでいた。
千葉であった理由は、僕が前職で物理出社していた職場が近かったのと、そこで結婚生活をスタートさせたためであり、住環境としては大変満足していたものの、縛られるものも少なかった。
また、妻は職選びの軸として「どこかの地域の誰かの暮らしを良くすることがしたい」という願望がある一方で、僕は東京から離れることによる仕事やキャリアへの影響も心配していた。
 
しかし、首都圏という特異かつ自分たちが生まれ育ったわけではない土地、ましてや親元から遠く離れた環境で、共働き夫婦が子どもを産み育てることに対し、一抹の不安もあった。
加えて、リモートワークと子育ての両立を考えると、間もなく我が家は手狭になるのが自明であり、広い住環境を望むべきなのも事実だった。
こうして、移住の検討は始まった。
退去時の千葉の家の様子
退去時の千葉の家の様子

なぜ北海道を選んだのか

僕の原体験として、地方都市で生まれ育ち、移動手段や交友関係が限られる頃は特に、半径数kmの世界で生きざるを得なかった記憶がある。
大人になるに連れて、好きな時に好きな所に行って好きな人に会える自由、それが有ると無いとでは、大きな差があることも学んだ。
新卒の自動車メーカーの工場実習においても、とある地方都市へ滞在することとなり、似たような閉鎖的環境へ過剰反応してしまって、同じ価値観を一層認識したのを覚えている。
 
このままキャリアを歩んでも、求める自由は得られないと思い至り、その可能性を1%でも上げる方法として、第二新卒で再チャレンジすることを選んだ。
人々へ移動の自由を提供するために自動車メーカーへ就職したはずが、自分自身が移動の自由を渇望するという、なんとも皮肉かつ不義理な振る舞いをしてしまった。
あれから複数回の転職をしているものの、振り返るとそれは「好きな土地で比較的自由に暮らす自分でありたい」という理想からの逆算だった気がするし、キャリアはあくまでその手段だった気さえする。
 
一方、相反する話ではあるが、僕に限らず北海道出身者は不思議なことに、自己の郷土に対する肯定感がずば抜けて高いのである。
個人的にも、社会人になって住んだ横浜・千葉あたりはちょうど良くて、都内に住むイメージは持てない田舎者でも用事があれば都内に出れるし、かつ他所者にも寛容な雰囲気が居心地良かったが、いつもどこかで札幌と比べる自分がいた。
そんなふうに、何かあったら北海道に帰れば良い、という前提があることによって、地元を離れて多少ハードな生活を送っていても、頑張れる支えにはなっていたはずだ。
北広島市のエスコンフィールドにて
北広島市のエスコンフィールドにて
また、僕たち夫婦は旅行であちこちに出かけており、その中には地元北海道への旅行や帰省も多分に含まれていた。
ただ、ここ数年で本州の行きたかった旅行先は(年齢のおかげかコロナのおかげか)60〜70%くらい制覇できた感覚があり、たまの大旅行として北海道を同列に扱うよりは、札幌に生活拠点を置いて道内各地を小さく訪れるのもアリなのでは、と思うようになった。
日常で自然の中を散歩したり、いい感じの店を発掘してふらっと行ってみたり、週末だけ実家にクイックに帰省したり、そういうのも別の幸せなのかもな、と。
 
妻についても、幼少・学生時代に北海道での居住経験があり、改めて札幌へ生活拠点を移すことに一切抵抗がなかったし、むしろ僕よりも推奨してくれた。
実際移住して分かるのが、これは本当に大正解で、近くにある小さな幸せを噛み締めながら日々を過ごすことができている。
四季といえば北海道が染み付いているし、雪も含めて愛せるし、季節を重ねるごとに満足度は増すばかりだ。

それで仕事はできているのか

移住しても同じ仕事を続けることは、もちろん不安ではあったが、いまのところなんとかなっている。
これを見ている同僚で、もし「天神はなんとかなってないよ」と思う人が居たら、ぜひできるだけこっそり教えて欲しい。
世間ではリモートワークの是非が問われているが、僕は自律性の高い少数精鋭の組織ならそれは成り立つと信じているし、身を持って証明すべく努力してきたつもりだ。
現職の同僚と、ココノススキノにて
現職の同僚と、ココノススキノにて
現職では、地方含めた全国各地に社員が散らばっており、リモートワークが主体となる前提で制度や文化が形成されていることも、移住の成功要素として非常に大きい。
有り難いことに、現職ではすでに数年を過ごしており、仲間たちと古く良好な関係を築けているので、信頼貯金ありきな感じもする。
しかしそれに甘んじること無く、月1・2程度で出社もしているし、子どもが産まれても家庭調整をしながら、この生活を出来るだけ続けてみるつもりだ。
そして、小売DXを掲げる現職の事業を考えても、より自分事化が進んだ感覚がある。
例えば、かつてに比べ街でお年寄りが目に付く気がしたり、帰省では両親といつまで車を運転するか話したりする。
北海道全般としても、昭和〜平成の発展期を経て年齢構成が一巡しつつあり、全国水準を上回るペースでの少子高齢化が進んでいる。
 
ましてや雪が降る土地のため、生活に困る人が増えるのは自明であり、少しでも買い物の選択肢を広げること・体験を良くすることに、個人でも勝手な使命感を感じている。
自分自身が北海道に住みながら、こういった仕事に関われたり、家族友人含めた道民の暮らしを豊かにできるのは、人生でそう何度もある機会ではない。
妻についても、現在は道内様々な自治体等を支援する職についており、移住検討当初の「どこかの地域の誰かの暮らしを良くすることがしたい」という願望が、幸運にも満たされたこととなる。
 
一方で、いまの会社や事業ありきで、自分の仕事やキャリアを考えているわけでもない。
リモートで働けなくなるかもしれないし、事業がうまくいかないかもしれないし、全員が考え方も住む場所もライフステージも違うし変わるし、辞める人だっているだろう。
それを惜しんでも仕方が無く、ある瞬間に僕は札幌に住みながら、共に過ごせたことを喜びたい。
仲間たちとは今後一生仲良くやっていけそうな気がするし、むしろその出逢いに感謝したい。
 
幸せなことに、友人同僚がよく遊びに来てくれるのもあって、移住から1年半以上が経過しているが、寂しかったり不利だとは全く思っていない。
いまの時代の北海道は、飛行機も安くあちこちに飛んでいるし、札幌は新幹線開通も見越して再開発がどんどん進み、Googleマップで見るほど物理的距離は感じず、東京に比べて諸々が安い・混んでないなどのメリットもある。
事実として、首都圏と利便性をほぼ変えること無く、家賃据置で二部屋増える優良物件が見つかり、妻も面白そうな仕事を見つけたのだから、そっちを取らない理由が無かった。
前職の同僚と、モエレ沼公園にて
前職の同僚と、モエレ沼公園にて

自分自身の道を歩くということ

別の観点としては、東京や業界の最新情報を100%キャッチアップできない自分自身についても、それを悲観するリスクを下げられる気がしている。
だって何の制約も受けていない、誰に強いられる訳でもない、色々な選択肢がある上で、あえて自分で北海道に決めているのだから、自業自得だと割り切れる。
もちろん、できる限り頑張ろうと思っているし、東京でのオフラインが羨ましいこともあるが、若かりし頃の何者かになりたい願望は消滅しつつある。
 
ドライに言うと、いまさら都内やその郊外のマンション買って過ごしたって、すぐに代替可能な大勢のうちの一人にしかなれない気がしたのだ。
東京に太い実家があるわけでもないのだから、戦い方を変えるしかない。
ひたすらはしごを上がり続けるのではなく、その上がりかたを工夫するか、はしご自体を変えるしかない。
自分自身の道を迷って歩いている子どもや青年のほうが、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う
と、かのゲーテも言っていたらしい。
他人に作られた幸せの定義だったり、周りの価値観に流されることなく、自分らしい幸せを追求した結果独自のポジションを取れていたら、それだけでも儲けものだ。
僕にとっては、たまたまそれが北海道だったのである。
夕日の街、釧路にて
夕日の街、釧路にて
まず現時点では「北海道に住みたい」という正直な気持ちを第一に、どうしたらその生活が実現できるかを考える。
会社や事業はどうなるのか、リモートワーク制度自体はどうなるのか、家族の時間とのバランスをどうやって取るのか、今後も変数は無限に増えていくのだから、その都度修正すれば良い。
もしかすると、週に数回出社するほうがパフォーマンスが出るかもしれないし、キャリア上の勉強や転職の機会は限定されうるが、僕含めた家族の幸せは少なくとも現時点では最大化されている。
 
引退して仕事を離れたら、将来もっと裕福になったら、子どもが保育園・小学校に入ったら、など考えていても切りが無いし、きっとその時は永遠に来ない。
貯金と同じで、いつかいつかと思っていたら、きっと他の事へ時間を費やしてしまう。
時間は無限のようで、確実に減っていくものだから、まずは機会を取るのが先であると考えた。
 
であれば、「あの時北海道住みたかったね、いつか住めると良いね」で永遠に機会を逃すよりも、いま移住してみる。
自分が働けると思うなら働いてみる、会社に制度があるなら使ってみる、駄目なら賃貸だし戻ってくる。
北海道に住むことを将来の到達点として置くのではなく、いま家族で幸せに過ごすために、僕たちは移住を決めた。

そして子どものこと

振り返ると、妻が妊娠した直後から、地元の有り難みを感じる機会も多かった。
医療施設の選択肢が良くも悪くも多すぎず、土地勘や体験のイメージが付きやすいので、どこの病院で産むかなど意思決定もしやすく、良い病院もそこまで混雑していないこと。
妊婦にとって辛い真夏でも暑すぎず、道や駐車場など自家用車フレンドリーに交通が設計されているので、通院や買い出しがしやすかったこと。
そして何よりも、両親含めた家族との距離が近く、妹は大小様々なお下がりをくれたり、母は毎月のように訪問してフォローしてくれたこと。
 
移住当初に望んだ通り、これから北海道で子育てを開始することとなるが、しばらくはこの状況を変えるつもりはない。
共働き夫婦にとっては、以前だと両親からサポートを得ずに夫婦だけで産み育てるか、キャリアを諦めて帰郷するか、単身赴任するか、といったような選択肢しか取れなかったことを思うと、現在のこの状況が本当に有り難い。
今後起こりうるイベントについても、二人目はどうする、大きくなって家が手狭になったらどうする、孫と祖父母の交流をどうするなど、何かを妥協していたと思う。
似たような境遇の人は、いままでもこれからも、この国にはきっとたくさん居るはずだ。
出産当日の産院と、スーパームーン
出産当日の産院と、スーパームーン
無事に出産を経た今の心境としては、妻と子が健康で居てくれさえすれば、それ以上に何も望むものはない。
一方で過去を振り返ると、現実問題として子の成長に合わせたどのタイミングで、都会や田舎どこで過ごしていれば、人生が豊かになるか、費用対効果が良いか、家族生活は持続可能か、などなど考えてしまっていた自分も否定できない。
事実、北海道でも子どもは減り続けていて、各産業で働く若者はどうなるか読めず、衰退すら見える環境で過ごすことに耐えられるのかは、まだ100%の自信を持てていない。
あるいは、一念発起して北海道ローカルのために何かしたい、子の生きる未来のために大スケールの何かがしたいと、別のキャリアを選択することがあるかもしれない。
 
また昨今の札幌も一部それに含まれるが、今後の世界を鑑みるに主体性や多様性観点からも、転入者や外国人が許容される場所へ触れる必要性は高いと考えている。
特に幼少期に大切な非認知能力を育むべく、外交性・同調性・開拓性を伸ばせるような場所を選んであげたいような気もする。
自身の記憶を遡っても、未だに印象に残るのは見知らぬ土地への旅行だったりするので、たとえ居住という形ではなくとも、様々な環境による刺激を多く与えていきたい。
子の生きることになる未来は、僕も少しでも良くしていきたいし、子自身にも良くする力を身に着けていって欲しい。
 
いずれにせよ、移住イコール不可逆だと捉える必要は全く無く、むしろ子も積極的に東京に来て親しみを持ってもらい、将来再度拠点を移すのは大アリだ。
なので、このような機動力は今後も担保しておきたく、わかりやすく言うと札幌にマンションを買う気はない、まあ買っても売れば良いのだけれど。
少なくとも北海道にいる間は、かつて両親が過ごした自然の織り成す四季を、我が子にも感じて育ってほしい。
いつかまた東京に戻るかもしれないが、それまでは北海道の親として出来る限りのことをやりつつ、同時に我が子に誇れる仕事も全力で続けていきたいと思う。

結びに育休のこと

育休を取ることを決めてからは、諸々のタイミング的に丁度良かったのもあって、現職のチーム運営やコミュニケーションを委譲したり、各々の属人性を下げる営みに投資したりと、半年以上をかけて準備を進めることができた。
個人としても、なるべく出しゃばらないようにする数ヶ月を過ごしてみて、フォロワーシップにもリーダーシップが必要であることを、身を持って実感したりもした。
特に一人当たりの影響度が大きくなりがちなスタートアップにおいて、自分自身のオフボーディングをしながらも、チームで何かの推進に試行錯誤したこと自体、非常に良い経験となった。
また育休に限らずとも、誰かが居なくなることを前提にした仕事のマニュアル化や形式知化自体が、日本全体の生産性向上へ向けた重要なテーマになるのだと思う。
そして、これを推進できている今の会社・チームが、心から誇らしい。
僕もそれに恥じないように、復職後には少しでも多く恩を返せるように、改めてパワーアップして帰って来ることを誓うのであった。
こちらの雪が溶ける頃、また春に会いましょう。
まず半年は、大変な出産を経た妻に少しでも楽をさせるべく、すべての家事育児に全力を注ぐことを誓います。
 

改めて自分語りにお付き合いいただき、ありがとうございました。
もしも何か印象に残る事があったり、我が子の誕生を喜んでくださる方がいらっしゃれば、以下よりお祝いいただけると嬉しいです。