「10Xらしいマネージャー像」について、チームでポストイットに書き出していったときの様子。 ”Accountability”の言葉について、僕の中では一際目を引くものがあった。
先日、僕がいま働いている10Xにて行われたミドルマネジメント合宿に参加した時、とあるワークにて”Accountability”という言葉に遭遇した。
ここ半年の足取りを振り返ると、日々の業務はもちろん、採用や評価、あるいはチームの推進・取りまとめという立場から、何かと”Accountability”を意識することが多かった。
今回は、そもそも「説明責任を果たす」とはどういうことか、半年前の自分に向けて最近思うことをつらつらと書く。
「10Xらしいマネージャー像」を考えてみた。10X初のミドルマネジメント合宿を開催!
「10Xらしいマネージャー像」を考えてみた。10X初のミドルマネジメント合宿を開催! | 株式会社10X
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会社・組織・仕事は、適切な粒度で領域が分かれることがほとんどで、その前提で互いの状況把握をするためにも、滑らかかつ過剰すぎない情報流通・ドキュメンテーションが不可欠であるように思う。
人員が増える・業務が複雑になるのみならず、黙っていても年月を重ねれば尚更、あらゆる箇所・階層での情報差分・認知負荷は広がってしまう。
これは、過去から未来に向かう時間軸の中でリソースを投下し、物事を前に進める万物において、仕方がないことのように感じられる。
(数十年来のツーカー夫婦の間柄だけならば、ある日突然「我が家のオキテ!」みたいなの作ってトイレに貼る必要無いだろうし、いや知らんけど)
それでも僕は、一人ひとりが意識して説明責任≒オープンネスの意識を持つこと自体が、結果として全体のチームワークに繋がると信じている。
情報を自分の中に留めておくのではなく、非同期であっても受け取り手に対して、適切な粒度で届けられるようにする。
これは新入社員でもベテランでも、誰であっても同じ、意識的に隠すなんてもってのほか。
(この人は何かを隠す人だな、と思ってしまった途端に、その人に対する信頼性はもろくも崩れ去るよね、経験上)