昔イスラエルで訪れたホロコーストの博物館、ヤド・ヴァシェムにおける展示のひとつ。
札幌に引っ越してからは、東京との飛行機移動の機会が増えると同時に、直近はその往復回数も多く、読書や動画閲覧に充てる時間が増えていた。
その際に触れた世界的名著である「夜と霧」につき、遅ればせながら人生で初めて向き合うことができたので、内容を自分の理解も兼ねてまとめておく。
あらすじはなんとなく見知っていたものの、扱っている内容の重厚さから、どうしても距離を取ってしまっていたのである。
イスラエルの博物館で見たホロコーストについての展示の数々は何とも形容し難かったし、現在そのイスラエルはまた戦争状態にあるとのニュースが飛び込んできたし、ポーランドのアウシュヴィッツは願望はあるが訪れたことは無い。
しかし、ここ数ヶ月は個人的に組織や業務でそこそこ大変な時期が続いていたこともあって(言うほど大したことはないが)、その解説など見るに気持ちが救われそうな希望を抱けたことも、改めて本書を手に取るきっかけとなった。
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ウィーン生まれの心理学者である筆者が、ユダヤ人としてナチスによる強制収容所での経験を綴ったものである。
“夜と霧”というタイトルは、実際にヒトラーによって発せられた命令の名称であり、その対象となった者はまるで夜霧の如く跡形も無く消え去ってしまったという。
歴史におけるホロコーストの痛ましさについては、もはや語るまでもあるまい。
非衛生的で劣悪な労働環境において、水のようなスープと一欠片のパンしか与えられず、死や暴力が日常となり、人の世で考えうる最も絶望に近い絶望である。
例えば本書においては、被収容者が得たパン一欠片について、2つの宗派に分かれて食べ方を議論をしていたエピソードが出てくる。
ある宗派では、パンをもらったらすぐに食べる。
なぜならば、たとえどれだけ少ない量であったとしても、その日の空腹を確実にいくらかマシにしてくれるし、何よりもパンを他人に盗まれる心配がないからである。