育休を取った新米パパの実録と感想

昨年10月に子どもが産まれ、育休を取得することについては、以下で述べた。
早いもので、娘を迎えた新しい生活が始まって既に5ヶ月が過ぎ、同時に僕が人の親になってから、もうすぐ半年が経とうとしている。
そこで今回は、実際に第一子が産まれてから僕がどのように過ごし、何を考え、困難が起きる度にどう乗り越えてきたのか、一ヶ月ごとの時系列に沿った実録と共に述べてみようと思う。
後に自分自身が、この怒涛の日々を振り返る目的もさることながら、これから新しい家族を迎える誰かだったり、あるいは育児を追体験してみたい方にとって、少しでも有益な情報になれば幸いである。
新生児期

母子が退院して家に帰った直後は、昼夜を問わない3時間おきの授乳・それ以上の頻度でのおむつ替えなど、まだ育児に慣れていないのも合わせて、文字通り戦時だった。
身体が回復していない妻のことを考え、「全ての家事育児をやるぜ!」という気合いでスタートし、貧血でも栄養補給ができる食事も心掛け、数時間はまとまった睡眠を取ってもらうようにした。
しかしながら、妻は3時間に1度、搾乳のために1時間前後を費やす必要があり、夫婦の稼働時間はトータルで削られていた。
これが我が家で最初かつ最大のイシューであり、以降も長く苦しめられることになる。
肝心の娘については、睡眠以外の時間は抱っこしてないと泣いてしまうことが続いた。
「新生児は基本的に寝ていて、お腹が空いたときに起きるくらい」と聞いていたので、事前情報との違いもあり苦労した。
先述のように、妻は搾乳で物理的にも制約を受けるため、僕が抱っこする時間が必然的に長くなり、新生児で抱っこ紐が使えないのもあって、腰と背中が崩壊した。

さらに、その隙間時間にほぼ全ての育児と家事をこなしたりと、今ではどうやって回していたのか記憶が無い。
Tipsとしては、妻が両手離しの状態で使用できるメデラの搾乳機を早めに導入しておけばよかった、と夫婦で反省している。
結局2ヶ月で導入することとなるが、搾乳機は細かいパーツを都度バラして洗って消毒する必要もあり、その負荷が複利でも蓄積されていくので、最初から相応の投資をすべきであった。
また、退院直後から搾乳とミルクを両方与えていたので、哺乳瓶の本数や洗う頻度が非常に多くなった。
新生児は胃の容量がとても小さいのもあって、ちょっとずつこまめに飲むことしかできないのである。
これについては、ほぼ最初から業務用の哺乳瓶を使っていたため、パーツが少なくて洗うのが楽だった。
一方、非常に飲みやすいのもあってか、母乳トレーニングには苦労していた模様である。
様々な育児体験記を見ると、「哺乳瓶はn個あれば良い・ガラスorプラスチックがあれば良い、何mlがあれば良い」という話が沢山出てくるが、個々人の事情で全然違うこと・セオリー通りにはいかないことを、早々に学んだのであった。
他にも搾乳や離乳食について調べると、世にはまるで親の時間が無限であるようなアドバイスに溢れており、何事も自分達で考えて判断するしかないのである。

このように、昼夜問わずに起きたら泣く娘に気を配りながら、ずっと臨戦態勢で夫婦共倒れになってしまうのは望ましくない。
そこで少しでも状況を挽回すべく、夜を前後半の交代制にして、5,6時間は自由時間兼睡眠時間を取れるようにした。
しかし、僕はいつ泣きスイッチが作動するかわからない中で寝付けなかったり、ストレスもあって細切れに起きてしまったりした。

そんな状況でも朝方は最低限、娘がどんなに寝ていても朝は9時に起こしてカーテンを開け、朝日を浴びさせることを意識していた。
スマホのアラームで娘や妻を起こさないために、手首の振動で合図をくれる、AppleWatchを毎回利用するようにもしていた。
効果は不明だが、娘は退院直後から昼夜の区別はなんとなくついているように見え、徐々に夜は数時間続けて寝てくれるようになった。
睡眠関連で大いに役に立ったのがCuboAiというベビーモニターで、寝室のベッドに置いた娘をリビングのNestHubMaxで見守りながら、家事ができたり一息つけたりした。
加えて、産前からジーナ式やねんねトレーニングを予習し、夫婦で思想を統一しておけたのは、成功要素としても大きい。

また、冬の北海道の寒い寝室で娘を寝かせるわけにいかないが、ストーブの音が気になるのか、眠りが浅いのも手伝って、夜に起きてしまうことも増えた。
そこでMillのオイルヒーターを導入すると、温度・湿度がスパイクせずに安定し、娘もよく寝れるようになった気がする。

そんな風に工夫しながら過ごす一方で、暗い部屋でオルゴールやクラシックをかけながら、生後数週間での黄昏泣きを繰り返す娘をあやしていると、自分がどんどん落ち込んでいるのがわかった。
気がつくと食欲もほとんど無くなっており、何を食べても味がしなかったり、以前は何を楽しみに生きていたのかも思い出せなくなっていた。
1ヶ月とにかく頑張っていたが、妻ではなく僕のほうが限界ギリギリとなってしまい、抱っこしながらふと涙が出てきたり、日が短く寒くなった夕方に、近所を暗い中徘徊するようになってしまった。
毎日が同じことの繰り返しのように感じたり、常に気を張り詰めていたり、太陽の光を欠乏して札幌に引っ越したことを後悔もした。
救いを求めて、友人へLINEしたり、ネット検索を重ねたり、けれど新生児よりnヶ月・n年の方が大変ということを言われ、「マジかぁ、このしんどさ一生続くのかぁ」と絶望感に打ちひしがれた。
自分は子育てに向いてない駄目人間だったのかもしれない、と本気で思っていた。
振り返ると「あと何日で1ヶ月検診、その頃には外出できるし楽になるはず」「あと何日で産後ケア、そしたら一晩はちゃんと寝れるはず」「あと何日でお宮参り、家族に会えば気分転換できるはず」といったように、少しでも先の楽しみをマイルストーンに毎日をこなす一方で、目の前の娘の成長に目を向ける余裕を持てなかった。
この経験から言えるのは、何よりもとにかく寝ることを最優先すべきであること、子育てにはそれぞれの個性や事情やタイミングで辛さが違うこと、これらを意識するのが大事なんだと思う。
結局は僕の母親を頼り、1ヶ月を迎えたタイミングで一人リフレッシュ休暇をもらい、妻の勧めもあって大好きなドーミーインに泊まり、友人を誘って食事に行った。
少し離れて冷静になってみると、ふと自分が抑うつ状態に近いことにも気がつけた。
今だから笑って話せることだが、きっとこの頃はゆっくり父親になっていた期間だったのだろう。
徐々にお腹が大きくなり、助産師や保健師と話す機会が多い母親に比べて、ある日当然急に父親になって人生が一変したのだから、心と身体が着いていけてなかった気がする。
母子も里帰りをせず、退院直後から3人で生活をスタートさせた我が家だからこそ得られた貴重な経験値だし、新しい家族の強固な土台を作ることができたと、いまでは胸を張って言い切れる。

生後1ヶ月

そんな事情も手伝い、夫婦ともに休息を取ることが急務であることを認識したため、産後ケアを利用することにした。
産後ケアとは、退院後の身体的・心理的負担を軽減するため、民間や行政で実施されている様々なプログラムのことだ。
うち行政のものについては、出産や手術を受け付ける産院にて実施されているのもあり、2週間前にならないと受け入れ状況が見えない、とのことだった。
一方で民間のものについては、家族全員でホテルに滞在できたのも良い思い出で、料金は約10万円だが満足度も高く、最近は人気で予約も取りづらくなっているようだった。
このタイミングで産後ケアを利用するのは、夜に子どもを預かってもらい親が休息を取ることは勿論、何かと不安が募ってくる頃でもあったので、大小問わずプロの助産師さんに聞きたいことを聞けたので大正解だった。
この頃に悩んでいたこと
- 生後n週間・nヶ月のミルク規定量・上限は、どこまで守る必要があるか?経過と体重どちらと相関があるか?
- ミルクはきっちり3時間以上空けないとあげてはいけないのは、本当か?
- ミルクと搾乳を混ぜて与える場合、規定量や次の授乳間隔をどのように考えるべきか?一方のみと混合で同じとは考えにくい
- 21時以降〜8時くらいまでは比較的よく寝るが、今後どのように寝る時間を伸ばしていけばよいか?どう見極めるか?その場合夜の授乳量は増やすべきか?
- ミルク・搾母乳の違いによって、お腹の空き具合は何時間後から効いてくるか?直後の3時間後?一回飛ばして6時間後?など
- 生活リズムとしてジーナ式の7時〜19時に寄せた方が良いか?特に夕方や夜の機嫌が悪く、毎日ずっとあやしている
- 夜間授乳のとき、無理におむつを変えなくても良い・覚醒してしまうと聞いたが、どうするべきか?
(改めて見ると、色々と細かく心配しすぎたと思う)
また、産後ケアでほぼ初めて他人に世話をお願いしたので、自分たちの凝り固まった方法を打破してくれることもあった。
例えば、助産師さんが夜のミルクの量をあえて増やしていると伺い、実際に試してみると、初めて娘が4時間連続で寝てくれたりした。
親としても、授乳間隔が開くことは大変有り難く、早くから昼夜の区別を意識した結果が、ここで小さく結ばれ始めた気がした。
さらに娘の成長も合わせ、母乳を少しずつ飲めるようになったり、搾乳の回数も減って、徐々に楽になりそうな希望が見えた。
そこで、無秩序だったスケジュールをジーナ式を見据えて組み直し、夫婦の交代を日ごとに変えてみたり、深夜も娘の様子に身を任せる・無理に自分も寝ようとせずに様子を見て過ごす・こちらからは起こさずにミルクの量にも緩急を付ける、などなど、何かと気楽に構えるようにした。
加えて、夫婦で時間の都合を調整して、僕は産前の習慣だったランニングとジムを小さく再開し、得られるセロトニンとドーパミンによって気分も前向きになったり、食欲や睡眠も徐々に改善されていった。
この頃の僕の睡眠時間を見てみると、確かに深夜に起きる回数が少しだけ減っていたり、徐々に深めの睡眠も取れるようになっていた。

深夜でも、AirPodsを片耳だけ付けてPodcastを聴きながら寝かしつけをすると「いくらでも付き合ってやるよ、1人じゃないし、インプット時間にもなるしな!」と頑張れたりして、暗い部屋で沈んだ気持ちになるのが改善された。
人次第で憤りかねない方法かもしれないが、親が鬱になったり育児が嫌になるくらいならば、自分に合った方法で気楽に育児へ向き合ったほうが良いと、強く思う。
こういった手法や心がけについては、以下の書籍によって得られたものも大きい。

また、この頃は娘の発育も著しく、ようやく外の世界に出てきたことを自覚したのか、明らかにこちらを向いて笑うようになったり、あーとかうーとか機嫌の良い声を出すようになった。
その度に、どんなに大変でも報われた気持ちになったり、ようやく父親として認めてもらえた気がした。
仕事と一緒で、誰かの役に立った実感が持てると、多少辛くても頑張れたりするものだ。

ベッドで昼寝をするのは相変わらず苦手だったが、抱っこ紐に入れて歩くと寝るので、朝寝・昼寝・夕寝のいずれかに出かけるようにした。
娘と二人、あるいは妻も合わせた三人で出かけることで、良い気分転換にもなった。
天気が良い日には、近所のスタバやイオン、コープさっぽろのトドックステーション、公園などを目的地に散歩した。
ただし11月〜12月の北海道の事情として、室内外の寒暖差が大きいために着替えさせるのも面倒だし、雪が降ると出掛けにくくもなってしまった。
生後1ヶ月でお宮参りにも行ったが、これは雪に着物が映える良い写真が取れたので、時に良い面もあった気がするが。

そして、夫婦ずっと二人が育児だけをやっていても、お互いに気が滅入るし喧嘩も増えるだろうと、再度スケジュールを見直して、1日の時間帯で明確に交代をするようにした。
しかしながら、生後1ヶ月ともなると、退院直後のアドレナリン出まくり期も落ち着き、いよいよ溜まった疲れが表面化してくるので、今度は夫婦喧嘩がものすごく増えていった。
当然そんな状況を良しとするわけにはいかず、2,3日ごとに細かく分担やスケジュールを見直して、なんとか改善を図ろうと試みた。

そこから得た最初の学びは、意思決定はオーナーが複数だとうまくいかない、ということである。
これについては、職業柄スクラム開発のような手法を見知っていたことが非常に大きく、まさに仕事と同じことが起きていると感じた。
僕たちはお互いに意思が強い夫婦なので、育児については明確に割り切り、母乳という代替不可能な役割がある妻に決定権を寄せ、僕は何かあれば妻に提案する側、という形をとった。
育休を取っている身だからといって、何も全て夫婦平等である必要はなく、いくら手があっても余ることはないのだから、100%以上貢献できるのは変わらないだろう、と。
こういったイシューの解像度がさらに一段深まるのは、もう1ヶ月後のことである。

生後2ヶ月

直接母乳を飲むことができたり、搾乳も一日数回で済むようになって、上手くいったと思ったらまた駄目で、の日々が続いていた。
それでも娘は、一人でプレイマットやクッションの上で落ち着いて過ごすことができたり、徐々にずっと抱っこしなくても平気になっていた。
すると親としても、手が空いている時間が少しずつ増えてきたり、生活リズムができてきた感じがして、ようやく育児に慣れてきた気がした。
発育についても、表情や発声の種類も増えて、いままで以上に娘が愛らしくなってきた。

そこで、12月中旬には年末年始も見越して、育休中でしか出来ないことをやろうと、レンタカーにベビーシートを取り付け、思い切って僕の実家に3人で長期間の帰省をした。
だが、結論としてこれは失敗に終わることとなる。
というのも、実家には実家の生活があるため、お互いにバランスを取るのに苦労したり、特に母親には大きな心労をかけてしまった。
昔から妻と僕の母親は仲良くしてくれているが、たとえどんなに仲が良かったとしても、生後間もない子を連れた状態で義理の実家で過ごすのは、お互い十分にくつろげない様子だった。
似たような話は、実の親子でも里帰り出産で見聞きするので、古今東西あるあるなのであろう。
娘についても、慣れない環境変化もあって母乳を飲みにくくなるなど、少なからず影響を受けていそうに見えた。
結局は年越しを待たずして、年内で自宅に帰ることとなった。
この頃の僕は、心のなかでどこか、何か困ったら、同じ北海道にある実家や両親を頼れば良い、という風に育児を甘く考えていたのかもしれない。
そういった状況もあって、夫婦喧嘩はさらに増えていき、家庭の雰囲気が非常に良くない状況が続いていた。

この経験から思ったのが、昨今の男も育休を取るべきだ・夫婦平等だという論調は、さらに一段掘り下げられる必要がある、ということだ。
そして夫婦が共働きで、祖父母が遠方で頼れないのならば、夫婦で育休を取って二人でやれば大丈夫、という単純な話では済まない。
前提として、育休は絶対に取ったほうがいいし、男女関係なく我が子の育児に関わるべき、という思いは変わらない。
しかし、どう頑張っても男は出産はできないし、母乳も出ない。
どれだけ我が子が愛おしくても、十月十日と出産を経て身を切って産んだ母親ほど、あらゆる事象に対して神経質に気を配ることは難しい。
母親の立場に立ってみると、慣れ親しんだ実家や両親のもとに身を寄せたほうが、義理の家族と共に過ごすより安心するのも自明だ。
また、産後のホルモンバランスの関係上、通称ガルガル期は仕方なく、どれだけ家事育児をしても・逆に全くしなくても、きっと夫への不平不満は無くならない。
事実、男性は女性と同じくらい産後に鬱状態になるとの見解も存在するし、僕自身も身を持って知ることとなった。
自我を手に入れた高度な知的生命体である人間ではあるが、やはり生物としての仕組みには、どうしても贖うことはできないのである。
妻の立場に立ってみても、この頃は慣れない育児に毎日必死なので、誰であれ大人に配慮する余裕が全く無いはずだ。
男性の育休取得は大いに推奨すべきだし、昨今のその流れを止めるべきではないが、一方で更にその先の議論も必要であると感じた。

育休は、子どもはもちろん妻を支えるためというが、支えることすなわち能動的に干渉を強めることばかりではない。
「全ての家事育児をやるぜ!」という気合いで育休をスタートした僕ではあったが、時にあまり稼働してないけど良いのかな?と言うくらい、手持ち無沙汰な時間があっても良いことに、ここでようやく気づくことができた。
引き続き全ての家事を担いつつも、妻の求める育児タスクを求めるタイミングと水準でこなし、相談には真摯に向き合い、愚痴や暴言も受け止める。
妻には十月十日の悪阻や身体の不便のビハインドがあったことを考えると、夫は夫で毎日辛い事が山ほどあるが、育休中・産後1年くらいはそういうものだと思って耐え忍ぶ。
色んな家族の形があると思うが、我が家の場合はそれが一番良いという結論に至った。

そんな年末を過ごした家族ではあったが、今度は義理の弟が自宅まで遊びに来るというイベントがあった。
年末年始の間、彼は家事を手伝ってくれたり、妻の良き話し相手になってくれたり、僕の夜間待機にも付き合ってくれたりと、夫婦ともに非常に救われた。
娘についても、帰省後は夜寝のみならず、朝寝や昼寝でもセルフねんねを会得したので、親は抱っこ紐でゆらゆらする時間からも開放され、夫婦の自由時間が一気に増えることとなった。
さらに、一度だけ夜通し寝に成功したり、笑顔でタミータイムでうつ伏せできたり、哺乳瓶を160mlから240mlへ大きくしたりと、成長を実感する日々だった。

この頃の娘は夜の睡眠も安定し、22時〜23時にミルクをあげると次にお腹が空く4時前後までは、良く寝てくれるようになった。
セルフねんね然り、夜の睡眠然り、きっと世間一般的に娘は手が掛からない性格に違いない、と確信した。
そこで、妻は夕食後早めに床についてもらうようにし、僕は22時〜23時のミルクをあげたら就寝、翌朝4時前に妻は一度起きてミルクをあげて再度眠る、というシフト制へと落ち着いた。
以降はいま現在に至るまで、しばらくこの夫婦シフト制を続けている。
僕自身の睡眠時間については、当番ではない早朝にも泣き声で起きてしまうことがあるものの、概ね人間的なリズムで寝れるような兆しが見えてきていた。

生後3ヶ月

セルフねんねを会得したとは言え、まだまだベッドで寝れない時やすぐ起きてしまう時もあり、半分は抱っこ紐で寝かせることも続けていた。
とはいえ、そんな生活にだいぶ慣れてきたのもあり、ストレスも減って、昼食と夕食は娘の寝てる間に夫婦2人で楽しめるようになった。
かと思ったら、いわゆる魔の3ヶ月に突入したようで、寝付きが悪くなったり、夜泣きをするようになった。
夫婦間においても、何かをきっかけに喧嘩しては、話し合って改善しての繰り返しで、あらゆる面で三歩進んで二歩下がるような日々が続いていた。


そんな中、何があっても守ろうと大前提として決めたことが、決して娘の前では喧嘩をしないことである。
というのも、娘自身が成長したこともあって、両親のことをよく見ている・理解していることが、明らかに認識できるようになり、意思疎通が取れていると思うことも増えた。
それに気づくまでは、何か言葉の通じない・感情のない宇宙人を相手にしているような感覚だったが、より一層愛情が増したのと同時に、尊厳を持って一人の人間として接しなければいけない、と強く感じた。
授乳・おむつ替え・寝かしつけといったお世話についても、正直言ってそれまではタスク地味ていたが、人として愛情を持って接するようにすると、安心するのか寝つきが良くなったり、笑うことも増えた気がした。

また、生後3ヶ月が経ったので、親戚を集めて旅館に一泊し、お食い初めの催しを行った。
特に甥姪は赤ちゃんを楽しみにしていたようで、ここで従兄弟同士が初めて対面することができた。
当事者としては、親に企画者という立場も加わり、非常に慌ただしくて大変だったし、娘も慣れない移動で少し疲れた様子が申し訳なかったが、いつかそんな話も含めて笑い話にできたら良いな、と思っている。
何よりも、親戚一同それぞれの良い思い出になったのであれば幸いである。

この頃の僕自身の睡眠時間については、すっかり安定して良く眠れるようになっていた。
それも手伝ってか、夫婦でもようやく生活が普通に送れるようになってきたね、という認識が芽生え始めた。
この傾向は、以降より顕著となっていく。

生後4ヶ月

嬉しい事として、妻の体調とメンタルが見るからに回復したのが、とにかく大きかった。
本人も「なんで、あんなどうでも良い色々を細かく気にしてたのか、よくわからんw」と笑い飛ばすほどだ。
僕がワンオペをしている間も、妻は一人で睡眠を取るだけではなくて、気晴らしに出掛ける意欲も湧いていた。
生活は特に何も変えてないので、やはり時間が解決してくれたのだろうし、言い換えると回復にはどうしても時間がかかるのだろう。
娘も夜通し寝はまだまだだが、どんどん深く眠ることができるようになり、多少のことでも大丈夫・滅多に大惨事は起きない、という成功体験を積んで安心感ができたことも、メンタルの安定に繋がったのかもしれない。

発育についても素晴らしく、大きな声を出して笑うようになったり、明らかにこちらを認識してくれてるようになった。
顔合わせるたびに「あーパパだー!」と笑顔を向けてくれて、まるで本能で可愛いと思わせる手法を知ってるようだった。
日に日に愛らしさは増し、娘が寝ていても写真や動画を見返して、早く朝になって抱っこして遊びたかった。
この子のためなら何でも出来ると感じたし、一瞬一瞬を見逃したくなくて、「産まれてきてくれてありがとう」と、心の底から思えるようになった。
そんな風に、妻も上り調子になり、娘の愛らしさもあって、ようやく家族3人の暮らしに適応できた。
いままでは各々皆必死に生きていたが、この頃からお互いを気遣える余裕も出てきた。
夫婦では週に一度は言い争いをしていた気がするが、それもびっくりするくらい、パタリと無くなった。
僕たちを救ってくれたのは、時間と、何よりも娘自身だった。

一方で家事については、特に食事は買い物に行く人と作る人は分担しにくかったり、冷蔵庫の中身や献立など認知思考コストが高いので、片方に寄せるほうが良いだろうと、掃除洗濯など含め僕が全担当することを続けた。
娘は目が一層はっきりと見えるようになり、周囲に興味が出て授乳中の遊び飲み・ちょこちょこ飲みが増え、気まぐれで飲まなかったり、泣いて興奮して飲めなかったりと、違う苦労も増えてきた。
そこでミルクウォーマーを導入し、事前に調乳して保存しておき、中断しても好きなタイミングで温めて授乳できるのが便利だと気づいた。
衛生的にも気をつけすぎなくて良い、ミルクの量も増えてきた時期もあっての導入だったが、もっと早めに導入しても良かったと思う。

ビッグイベントとしては、首も座ってきたので初めて飛行機に乗り、妻の地元である名古屋を旅行した。
冬の暗く寒い北海道を離れ、桜の咲く暖かい名古屋を散歩したり、夫婦それぞれの家族や友達にも会えたりと、非常に良い滞在ができた。
また、いままで雪道ではベビーカーを使えなかったので、名古屋で初めて乗せてみたが、娘は嫌がらずに散歩を楽しんでくれたり、そのまま昼寝もしてくれた。
この経験を通じて、ベビーカーがあると子育ての難易度が段違いであることを体感し、北海道特有の不利な側面を再認識した。

年末年始の帰省やお食い初めの旅館で苦い経験もあり、自宅外での睡眠を非常に心配していたが、なんと初日からいつもどおりベッドで寝てくれた。
再三の失敗がフィードバックされているのか、はたまたジーナ式の英才教育のおかげか、とにかく全く不自由がなかった。
正直行く前は億劫だったし、娘も道中の電車飛行機では多少ぐずりもしたが、旅行中に寝返りをマスターしたり、親としても生活が多少崩れても大丈夫な成功体験が積めた。
結果としては、家族全員がすごく成長できた旅行となり大成功、本当に行って良かったと思う。

生後5ヶ月、そして現在

娘は首もしっかり座り、うつ伏せ姿勢のまま顔を上げて、一人で長く遊ぶことができるようになった。
寝ても起きてもずっと抱っこしていた、あの日々はどこへやら、成長や自由が嬉しいと同時に、少し寂しくもある。
一方で、すっかりマスターした寝返りで睡眠中に起きてしまうことも増えたため、ベビーベッドを卒業し、大人と同じマットレスを並べて寝るように部屋割りを変更した。
今後起こりうる直近のイシューとしては、離乳食がはじまることであろう。
これまで授乳で苦労した経験や、娘自身の性格も鑑みて、夫婦では補完食・BLWといった考え方を取り入れることとを想定し、予習を進めている最中である。
ただし例に漏れず、どうせきっと書籍通りにうまくはいかないであろう、と身が引き締まる思いだ。

そして育休中にしかできないことをやろうと、思い切って沖縄へ1週間以上の長期旅行をした。
実は産後すぐのタイミングで旅行を計画して、家族全員がその楽しみを糧に、ここまで様々な出来事を乗り越えてきた。
いずれのホテルも、事前に情報を集めた上で部屋を選んだり、ベビーベッドやおむつバケツなどを借りられたりと、快適な滞在をすることができた。
長い道中についても、娘自身の経験値や成長もあって、名古屋の時より遥かに落ち着いて電車飛行機バス移動ができたり、狙った完璧なタイミングで寝てくれたり、あやしてくれる見知らぬ人にもニコッと笑いかけるようになったりと、本当に感動した。
これは個人の考え方にもよるが、生後5ヶ月であれば離乳食を開始しておらず、はいはいで勝手に動き回る心配もなく、睡眠や生活も比較的安定している、まさに絶妙なタイミングだ。
子どももまだ自我はないので、親本意で行き先を決めることができるのは、しばらく最後かつ最良であろう、という考えの下でもある。
何よりも非日常が、子ども自身のみならず家族全員を成長させてくれるし、文字通り思い出が一生残る。
産前には同僚からも、乳児期の海外旅行を勧めるアドバイスをいただいており、その意味を強く実感した。
そして1週間以上の理由は、子どもが小さいと移動で1日潰れてしまうし、現地での適応にも時間がかかるので、短期間では楽しめないだろうと、年末年始やお食い初めでの学びを経てのことである。
道中は必ずバタバタするが、それも承知で長期旅行に出れるのも、仕事に縛られない育休中だからこそだ。
3月の北海道は雪解けで道がぐちゃぐちゃ、ベビーカーも使えないので、暖かく花粉がない沖縄で過ごすのも大正解だった。
もちろんそれなりの費用はかかるが、それもまた先輩パパのアドバイスに従い、ここ一番のお金の使い所だと考えるようにした。
代わりとして、以降の春夏はベストシーズンを迎える地元の北海道にて、日々の小さなお出掛けを存分に楽しむ予定でいる。

また、沖縄旅行を終えて、育休中に決めていた大きなマイルストーンは全て完了し、後の仕事のことを考え始めた。
愛する娘と妻を見ていると、この幸せな暮らしを守るためにもバリバリ働く必要があると思う一方で、一瞬一瞬が愛おしく、少しでも長い時間を一緒に過ごしたいし、育児より大切な仕事なんて無いのでは、と思った。
個人的に正直言うと、仕事だけをしてる方が100倍楽だった、とすら感じている。
だが、ここまで述べたような辛い経験を踏まえても、半年以上の育休を取って本当に良かった、と心の底から言い切れる。
仮に短期間だったとしても、育休中は100%育児と家事に向き合うことになるので、その土台ありきで仕事を積み増す方法を考える結果、復職しても仕事と育児双方の配分に意識が向くようになる。
反面、100%向き合ったことがないと、すでにキャパシティを仕事で埋めた状態へ育児を差し込むことになるので、育児にコミットできない恐れもある、なぜならば全体像が見えないためだ。
ここまで僕が経験してきたように、子どもは日々成長するし、家族の生活も日々変化する。
それらを踏まえると、育休は数カ月間まとまって取得した方が良い、というのが、個人の意見である。
同時に、もしも長期間の育休を取りたくても取れない人がいたり、当事者だけでなくその同僚や上司にも負荷が掛かってしまうのならば、何か僕に出来る方法で余力を作ってあげたい。
そんな風に、育休を通じて仕事への思いも新たになるのであった。
残りの育休についても、果たして自分が世の中のために何ができるのかを考えながら、二度と戻らない家族で過ごす日々を大切に過ごしていこうと思う。
結びに、僕たち夫婦と娘に対して、様々な形で御祝や御支援をいただいた全ての方々へ、心より御礼申し上げます!
